熊本県天草市産出の爬虫類の皮膚痕化石(約9800万年前)について

2012年7月25日

熊本県天草市立御所浦白亜紀資料館と福井県立恐竜博物館は、天草市御所浦町から発見された白亜紀後期(約9800万年前)の爬虫類の皮膚痕化石を以下の日程で一般公開します。

足跡化石を除く爬虫類の皮膚痕化石としては、福井県勝山市産出の恐竜の皮膚痕化石(2007年4月26日公表)に次いで、国内2例目とみられます。化石の鱗の形状や配列は明瞭で、保存状態は非常に良好です。鱗は水辺にすむ絶滅爬虫類や、一部の恐竜のものに似てはいますが、どのような種類の爬虫類であったかは今のところ不明です。

2012年7月25日㈬ 午後から、恐竜博物館 常設展示1F「日本の恐竜化石」にて化石の複製を展示します。

化石発見の経緯と状態について

熊本県天草市御所浦町花岡山(花岡山化石採集場 図1)にて、家族で化石採集体験に訪れた山形市在住の岡本篤志氏が、化石のついた岩石の片割れ(図2A)を2001年8月18日に採集しました。また同年、御所浦白亜紀資料館が本体部分(図2B)を別の機会に採集。このため、2つは別々に保管されていました。

2003年7月26日、岡本氏が何の化石かを知るため、白亜紀資料館を家族と共に再度訪れました。この際、2つのブロックが1つに合うと判明しました。この後、恐竜博物館に鑑定の依頼があり、天草市側との共同調査を行ってきました。

化石は現場に露出する御所浦層群(ごしょうらそうぐん)の唐木崎層(からきざきそう:白亜紀後期:セノマニアン初期:約9800万年前)から産出したもので、当初から二分されていました。なお現在舗装工事のため、産出地層は現場に一部しか露出していません。

化石産出層は汽水ないし淡水域に堆積したもので、おそらく干潟ないしその付近で形成されたのでしょう。シルト岩のブロック(砂よりも細かく、泥よりも粗い堆積岩:長さ18cm×幅11cm×厚さ(最大)4.5cm)の約10cm×9cmにわたる表面にあり、皮膚のあとが凸型の印象として見られます(図2)。湿った地面に体を覆う皮膚の一部が押し付けられ、その窪みを細かい堆積物(シルト)が覆ったため、凸型として保存されたのでしょう。鱗は多角形状で大きなものは径約2mmあり、小さいサイズの鱗へと次第に移り変わる様子や、長径約5mmの楕円形の突起物なども保存されています。

中国地質科学院地質研究所 呂 君昌(ル・ジュンチャン)教授を交えて鑑定を行った結果、恐竜の鱗としてはやや小さいものの、草食恐竜のハドロサウルス類のものや、コリストデラ類など淡水域にすむ絶滅爬虫類のものに、今回のものと類似する形状があるようです。しかし皮膚痕化石の情報は少なく、一緒に骨や足跡など産出しなければ、種類の特定は困難です。現在のところ、天草市の化石に合致したパターンを持つ皮膚痕化石はまだ報告されていません。

展示公開スケジュール

天草市御所浦白亜紀資料館 2012年7月25日㈬ 午後から、開館15周年特別展「陸上の覇者―恐竜と哺乳類、巨大鳥類-」にて実物化石を展示。
福井県立恐竜博物館 2012年7月25日㈬ 午後から、常設展示1F「日本の恐竜化石」にて化石の複製を展示。

図版

図1.皮膚痕化石が発見された、熊本県天草市御所浦町花岡山(花岡山化石採集場)の位置

図1.皮膚痕化石が発見された、熊本県天草市御所浦町花岡山(花岡山化石採集場)の位置

図2.熊本県天草市産出の皮膚痕化石(約9800万年前)の画像(上)と解説図(下)。下図のグレーの部分に皮膚痕が見られる。化石は二分されており、片割れのAは岡本氏、Bは御所浦白亜紀資料館が発見。点線部は接写画像(図3)の箇所。

図2.熊本県天草市産出の皮膚痕化石(約9800万年前)の画像(上)と解説図(下)。下図のグレーの部分に皮膚痕が見られる。化石は二分されており、片割れのAは岡本氏、Bは御所浦白亜紀資料館が発見。点線部は接写画像(図3)の箇所。

図3.熊本県天草市産出の皮膚痕化石(約9800万年前)の接写画像(図2の点線部)。明瞭な鱗の凸型や楕円形の突起物(矢印)が見られる

図3.熊本県天草市産出の皮膚痕化石(約9800万年前)の接写画像(図2の点線部)。明瞭な鱗の凸型や楕円形の突起物(矢印)が見られる。


福井県立恐竜博物館
所在地:
〒911-8601 
福井県勝山市村岡町寺尾51-11
かつやま恐竜の森内
TEL:0779-88-0001(代表)
TEL:0779-88-0892(団体受付)

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